グラムにきて2年が経ちました。。。
激しくしんどい日々でしたが、なんとかここまでたどり着きました。
しかし、苦しいからこそ小さな事が大きな喜びとなり思い返すと楽しい思い出
ばかりです。
というか、楽しい思い出にする為にやってきたともいえます。
社長といっても第一号社員で、社員=ゼロという。今までの社長生活からは一変する
日々でした。
社長という職種では3社目です。97年のダブルクリック・ジャパン。
99年、エキサイト株式会社。そして、08年 グラムメディア・ジャパン。
全て、初代社長での立ち上げですが、今回も色々な経験をしました。
社長とっても、エキサイトの頃とは大きく変わりました。大きな社長室、秘書、車、大勢
の部下、何社もある子会社。多彩な事業。。。。。
急変しました。でも自分はそうゆう環境を選びました。
何千人企業の代表の話もありました。でも自分にはピンとこなかった。
生まれついての貧乏性はなおりません。
オフィスのない日々。久しぶりの電車、。飛行機のエコノミークラス。カバンの中
に書類、ハンコ、通帳、PC、全てを詰め込んで歩いてました。
エクセルと格闘し、靴のかかとを日比谷駅のミスターミニットで何度も変えました。
45歳になって、またファーストコールのお客様にプレゼンを毎日やりました。
引出しがわりのカバンは、手がちぎれました。
スターバックスに駆け込んでメールのチェック。前の会社の社員が入ってきて
はずかしくて隠れました。
しかし、そんな日々折れそうな心を助けてくれたのは、「人」でした。
特に、他社の人でした。
もちろん離れていった人々、手のひらを返すような態度をとる以前の会社の社員など
たくさんいましたが、かえって味方かどうかわかって、よかった。敵とは堂々とやれる。
誰にでもやさしく接する必要がなくなった。
自分に戒めました。立場や環境が変わったからと言って、相手に対して対応を
変えるのは人間として最低だと。
コンビニのコピー、FAXから解放してくれ、席をかしてくれたのは前の会社の社員で
独立して頑張っている奴でした。
そして関係のない私に、冷たい御茶をだしてくれた女子社員の方がいました。
銀行口座を「0」円で開いてくれた、銀行がありました。
お前が言うならと出資して頂いた企業がありました。
電話をして、お伺いした瞬間に、注文をだして頂いた企業がありました。
大手の出版社様が信じて、広告を売らせて頂きました。
毎晩、声をかけてくれた友人がいました。
本当に色々な人に助けてもらいました。
そう考えれば「ゼロ」スタートではなかった。
でも「人」がいなければ、できない。
ある日、前の会社の社員からこんなメールをもらいました。
入ってすぐの8月下旬だったと思います。
「銀座駅で、パンパンの鞄を持って、乗り換えている姿をみて、何でもいいから
手伝いをさせてほしい。」
反省しました。もちろん以前も私は一生懸命にやっていたつもりでした。
でもその姿は、彼にはそう映っていなかったのだと。
でも2年もすれば、当り前のことを当たり前にやれるもんです。
朝きたら自分でコーヒーをいれ、自分でコピーし、当り前のように地下鉄に乗り、
当たり前のようにエコノミークラスで、出張にいく。
伊藤忠の丹羽会長が仰っていました。
「会社の社長だからってえらそうにしてたって、会社を辞めたとたん、ただのじいさんに
なる。次の日からは、車もつかんし、飛行機はエコノミーだよ。
今から、そうしておけばいいんだ。」
この2年間でお世話になった人。
数え切れません。
本当にありがとうございました。
なんとか、皆さまに恩返しできるように頑張ります!”!
今でも、手がちぎれたカバンを眺めて、自分を見つめる。
あの頃の事を忘れないように。
山村幸広