2004年2月26日(木)
先日、小山さんから六本木に美味しい鮨屋を見つけたので、とお誘い頂き、行ってきた。
「ブログ読んでますよ。」と言われた。こんなプロに稚拙な文章を見られていると思うと恥ずかしい限りである。小山さんは今やピンの放送作家であり美食評論家。食べる事に対しての姿勢は本当に徹底していて頭が下がる。夜に車を飛ばして、軽井沢の名店「エルミタージュ・タムラ」(こちらの桃の冷たいスープは筆舌し難い一品。小山さんに紹介して頂いた。)へ食べに行って、帰って来たり、1~2泊でイタリアやNYのレストランへ食事にいく。何処からあの時間がでてくるのか? 私が知っている限りもっとも忙しい美食家である。特に小山さんのフレンチに対する思い入れと見識の深さは日本でも例が少ないと思う。1人で、日本だけでなく世界中のフレンチを食べていて味を知っている。そしてもちろん、ワインの見聞もプロ級である。彼から教えてもらったワインバーは私の大事な一軒である。
大学時代からメディア業界に関わり、下積みの後、放送作家に。小山さんの作品で我々に一番のインパクトを与えたのがあの名作「カノッサの屈辱」である。そして国内はもとより米国でも大人気で、現在でもハワイの日本語チャンネルで放送されている「料理の鉄人」がある。他にも視聴率NO.1だった「電波少年」もあり、また芸術大作の「世界遺産」と、バラエティから芸術作品までこなす天才である。そして人柄も素晴らしい故、人間関係の広さも相当な人である。先生は態度も言葉使いも自然で全然威張った横柄な所がない。よって一流の地位をキープされている。小山さんとのお付き合いは数年前、小山さんが恐れ多くも小生を、ある媒体のコーナー用に取材をして頂いた事に始まる。その際、私の棚の「オーパスワン」を発見されて、「ワインがお好きなら今度飲みに行きませんか?」とお誘い頂いたのがお付き合いの始めである。それからは年に2,3回のペースで食事をさせて頂いている。いつも素晴らしいお店を紹介して頂いて感謝の連続である。
そして何より、人に対しての配慮が素晴らしい。この日も連れて行って頂いたお鮨屋さんで「この鮨屋さんは持ち込みOKなんですよ。すでにシャンパンと赤・白ワインを届けて冷やしてあります。」と仰る。もう感激である。常にこうゆう感じでサプライズを頂くのである。こうゆう人は、仕事も運も自然に廻ってくる。そして継続できる人である。
その味わった素晴らしいワインの一本をご紹介する。DRCの白である。DRCの白と言えばモンラッシェをワイン好きは想像されるだろう。というか白ワインはDRCに限らずモンラッシェであろう。赤ワインはボルドー5大シャトー、もちろん王様のDRC、ブルゴーニュ、その他色々な好みやチョイスがあるが、白はモンラッシェと言っていいのではないか。但し最初に言いたいのだが、ワインは高いものだけが楽しめるものではない。1000円のテーブルワインも例えば、万人から愛されるカップラーメンの様に美味しいものである。ワインについての個人的な能書きは今度、じっくり勝手に語らして頂くとして話を戻すと、この日小山さんが用意されたワインはDRCの「HAUTES-COTES DE NUIT 1998」である。定価では8000円程度であるが貴重品故、オークションで15000円程度にて取引される事があるそうだ。実際、小生も始めて見た。そのワインはまず色が素晴らしい。その鮮やかなイエローは独特の色合いで、見ただけですっきりとした味わいが伝わる。そして香りも若々しい春の若草の香り。味は見た目通りすっきりと樽の香りと味を押さえた上品な味であった。その後の白も小生の好きなブルゴーニュ産(多分、小山さんは2人で飲んだエシェゾーに小生が大感激したのを覚えておられて、選ばれたのであろう。)で薔薇の香りと深い味わいを最後まで堪能した。(結構、酔っ払ってしまった。)お鮨屋さんで、こんなワインを頂いたのは始めてであり貴重な体験であった。本当に至福の時間であった。ありがとうございました。
次の日、メールで小山さんに「鮨屋は何点ですか?」と聞かれ、ふと考えた。うーーん。思いだせない。はっきり言ってワインを心から楽しんだ故、最初の白魚の美味しさしか舌の記憶が無い。あんなにワインを楽しめたのだが。鮨を覚えていないので点数がつけられない。もちろん美味しかったのだが。。。。。
ごめんなさい、小山さん。もう一回、行きましょう!!(と理由をつけて誘ってしまおう。)
これからもお付き合いを宜しくお願いします。
山村幸広
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2004年2月21日(土)
その鮨屋の主人は佐々木茂樹(39歳)という。私より1つ年下のこの男、絶対にえらぶらないし、客をはずさない。どのタイプの客にも合わせるし、好かれる。その人柄の裏側にある根性と信念の強さを人に見せない。岩手から上京、父は漁師。下北沢の小笹寿司で修行。今から約8年ほど前に独立した。下北沢から独立され開店される鮨屋は東京に数件あり、よくメディアにも登場する「銀座 小笹寿司」や「西麻布 小笹寿司」などあるが、彼は一切取材を受けない。彼が独立に選んだ店は、神泉のアパートの一室。細い路地から駐車場をぬけたアパートの1階にひっそりと位置する。もちろん外からはわからないし、一見客が入る事もない。
こちらのお客さんはマスコミ業界、芸能人、会社関係、その他非常に幅広いが、魚にうるさく東京の名店の常連客だった方が「小笹」の常連になられるという点が目立つ。私が知っている限り、こちらの魚の仕入れは東京でも最高クラスといえる。しかし値段は他の一流処より3~4割、下手すると半額ぐらい安い。競馬好きの彼はよく「複勝馬券です。」と言う。要するに、100円を110円で売っているという。彼の税理士はあまりの仕入原価率の高さに、「ありえない。」と信じなかったが、自分で食べて、支払って、初めて信用したそうだ。もちろん鮨屋とは店、ご主人、器、雰囲気、ブランド、技、魚、サービス、価格、味(魚自体、酢メシと魚のバランス、煮ツメ、のり等々)など色々なポイントがあって、その価値観と好みで「一番」を決めるものであるが、小生はこの鮨屋を一番だと思っている。
彼が築地の最高級の魚を満足感のある価格で提供できるのには色々な工夫がある。まず、場所が神泉のアパートで家賃が安いこと。次に、仕事は彼1人プラス給仕の女性が1人(現在、隣の部屋をぶちぬいて10席になったせいもあり、女性は2人になっている。)で人件費が安いこと。そして、殆どのお客さんが「おまかせ」なので、客が常に満員状態の現在では仕入れのロスも少ないことが挙げられるだろう。
彼の仕入れは面白い。一度彼と築地にいった事があるのだが、彼は午前10時頃築地へいく。まぐろ屋さん(築地 内藤さん)にいくと、既に彼の分がおいてある。「橘」の「うに」も彼の分が既に取ってある。季節により「しんこ」「ほしがれい」などの貴重な魚も彼の為に取ってある。そうやって仕入先を一巡して、昼前には店にもどって仕込みを始める。既に彼と仲買さんとの信頼が形成されているのだ。
この信頼の形成が彼の何よりの財産ではあるが、ここまでくるのに想像を絶する苦労があった。仲買さんは買ってくれる鮨屋があるから落札する事ができる。要するに、一番いい物を「小笹」が買うという前提があるから勝負して落とせるのである。彼の店も最初から順風満帆ではなかった。1年目、客はほとんどこない。仕入れた絶品の魚はほとんど腐って金と共に消えていった。しかし仲買さんが用意した魚を一度でも断れば、良い魚はまわってこなくなる。又、仲買さんも勝負できない。魚がまだ余っていても、客の予約が入っていなくても、彼は用意された魚を黙って買って帰る。築地の仕入れは現金。彼の資金はほとんど底をついていた。しかしなんとか工面して、彼は良い魚を買い続けた。よく、「しげちゃん、またマグロ買ってきたのかい?」「ええ折角、仲買さんが一番のまぐろを落としてくれてるんで。」と大きなマグロを2人で眺めていたものだ。しかしその根性と信念は客に通じるものである。客は客を呼び、魚のロスも少なくなった。もう腐っていく魚はなくなった。彼は勝負に勝った。
独身の頃は週に2回は通っていた。土曜日なんかは競馬新聞片手に鮨をつまみ、常連さんの何人かとしげちゃんとで競馬予想をするのが楽しみであった。今は土曜日はフルに2、3回転、お客さんの予約がぎっしりだそうだ。最近は予約が中々とれない事もあり、月に1、2度行く程度である。そういう意味ではだんだんしげちゃんも遠い存在になってきて寂しさもあるが、今の繁盛ぶりはうれしい限りだ。古い常連さんもみんなが彼を応援している。だれも常連ぶらず新しいお客さんに喜びを感じる。
1年を通じて旬のもの、かつ最高の魚しか仕入れない店なので、私も長年通っているが、「いくら」は1年で2、3週間の間だけ。よってまだ2,3回しか食べた事がない。「うに」や「あなご」も良いものがなければ買わない。彼の仕入れる鯛のかぶとだけを料亭さんが買わせてくれといった事もあるぐらいだ。もちろん生のものしか使わない。である故、一年中「いくら」が食べたい客は、しげちゃんの店にはこない。だが、この店を紹介させて頂いて喜ばれなかったことはない。でも考えればそういう人にしか紹介していない。この店は、客が客を選んでいるのだ。誰かを招待すれば、この場所に皆さん感激される。「隠れ家」を紹介された人は喜ぶものである。こちらもそれを一つのプレゼンテーションと考えている。そして味に、主人・佐々木茂樹に惚れる。「隠れ家」という評判は、彼にとっては計算外のプラス要素となった。
あとはこの男に弟子と嫁さんがくればと願っている。この鮨屋を知って一生食べる事ができる小生はほんとにラッキーである。幸せである。
今日も我が家のように暖簾をくぐる。
山村幸広
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2004年2月19日(木)
東京の食文化の代表として鮨をご紹介したが、もう一つ忘れてはならないのが蕎麦(そば)である。もちろん他にも「どぜう」、「もんじゃ」、「ラーメン」などがあるが、蕎麦は東京の代表選手だろう。関西出身の小生にとっては、東京に来るまでは、やはり蕎麦よりうどんであった。今でも大阪へ出張の折は必ず「きつねうどん」を食べる。しかし東京ですっかり蕎麦好きになってしまった。もちろん蕎麦は日本全国の殆どで楽しむ事ができる。しかし何故、東京なのか? 一番の違いは東京の蕎麦屋の、あの濃くて辛いつけ汁だろう。最初は辛いという印象があったが、今ではあの「濃さ」「辛さ」でないと満足感が無い。長野に行って美味しい蕎麦屋を何軒か廻って蕎麦をたぐる。しかし蕎麦の美味しさの割に、なにかしっくりこない。あのつけ汁でないと満足出来なくなってしまっている。そういう意味では、小生も東京の味に慣れてしまっている。
もう一つの東京の蕎麦屋の驚きは、「蕎麦屋で一杯飲む。」事である。関西では蕎麦屋で一杯飲む習慣は無い。もちろんうどん屋でも飲まない。でも東京の蕎麦屋ではそれができる。江戸時代には、天麩羅蕎麦を頼んで、天麩羅を肴に一杯やって蕎麦をたぐって帰るという飲み方だったそうだが、そこから発展したのであろう。蕎麦屋での肴には共通して「だしまき」がある。それに「そばがき」「天麩羅(小柱のかき揚や江戸前の穴子天麩羅)」なんぞを肴に飲む。又、東京の蕎麦屋は美味しい酒や焼酎をこだわって置いている店が多い。冬は麦焼酎の蕎麦湯割が合う。(最近はそば茶割も気に入っている。)そして締めに蕎麦をたぐって帰る。うーーーん、大人の、東京の飲み方である。
皆様にもきっとお気に入りの蕎麦屋が一軒はおありであろうが、私のお気にいりの一つに「竹やぶ」さんがある。こちらは私のオフィスの近くにあったのだが、六本木ヒルズのOPENに合わせて移転された。多分、美味しいので口説かれたのであろう。こちらの「田舎蕎麦」は本当に都会の洗練された田舎蕎麦である。何というか、せいろと田舎の良い所を合わせて出来たのがこちらの田舎蕎麦である。聞かなきゃ、「これが田舎?」って感じでしょうか。夜は早く売りきれる様ですので、できれば予約される方が良い。又、蕎麦懐石コースを注文されると頂く事ができる。そして日本酒は、新潟の「鄙願(ひがん)」。柔らかさが何とも言えない「そばがき」と頂けば、至福の瞬間が訪れる。もう一軒は、恵比寿の「翁(おきな)」さんである。最近はお邪魔していないが、深夜までやっている蕎麦屋さんは貴重である。しかしこちらでは何より、もし蕎麦が無くても日本料理屋で十分やっていける素材にこだわった美味しい料理を頂く事ができる。「御前蕎麦」と女将さんが仰る蕎麦を、筆舌し難い「のど越し」で頂く。お値段も少し張るが、満足感のほうが上の名店である。一番最初に予約をさせて頂いた時に、すこし遅れそうだったので、「10分遅れます。」と連絡をいれた。女将さんに、「お待ち申し上げていました。どんなに素晴らしい人が来るのか楽しみでした。今まで、平気で15分も30分も遅れるお客さんはたくさんいたけれど、10分遅れると電話を頂いたのは初めてです。」と偉く褒めて頂いて照れくさかったのを思い出す。「目黒一茶庵」さんが閉店されたのが悲しい。最初に東京の蕎麦のおいしさを知った名店であった。ご主人がご病気とお聞きしたが、誰かお継ぎになれなかったのかと残念でならない。その他のお気に入りは以下の通り。
白金「利庵(としあん)」
浜町「藪そば」
軽井沢「東間(とうま)」(日本一、包丁がたった、切れ味最高の蕎麦)
一杯1000円以下で、最高の料理(蕎麦も立派な料理である)を頂く事ができるみんなの蕎麦屋。これからもお世話になりたい。
山村幸広
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2004年2月16日(月)
今年は年初から、ケーブルインターネット接続会社のアットネットホームの社長である廣瀬さんが、日本コロンビアのCEOへ転身された。そして先週金曜日にはアップルコンピュータの元社長である原田さんが、日本マクドナルドのCEOに就任されました。
廣瀬さんは、IBMからアスキー、セガと渡ってその後、当時(1999年)エキサイトとは何とも縁深い、アットホーム株式会社のCEOに就任された。1999年当時、米国西海岸のレッドウッドシティの一角ではポータルを運営するExcite IncとブロードバンドISPの@HOME Incはビルを隣り合わせにして「お隣さん」の会社でした。その2社が、1999年1月になんと合併してExcite@Homeと言う会社になりました。当時日本では、アットホーム社(その後アットネットホームヘ社名変更)もエキサイトも、日本でその2社の子会社としてそれぞれ運営をしていました。日本では我々は合併しませんでしたが、本社へ行けば「仲間」です。定期的に情報交換会をしながら、又、本社への「グチ」を言い合いながら、なんとかお互い頑張ってやってきました。
しかし2001年9月、 Excite@Home、つまり私達の親会社は会社更正法を申請して倒産しました。当時、廣瀬さんとは、アットホーム、エキサイトの日本法人をどうやって生き残らせる事ができるかについて、色々な話をしました。そして2社とも日本の既存株主(アットホーム社は住友商事とジュピターコミュニケーション、エキサイトは伊藤忠商事)の米国本社所有株とブランドの買取という形で生き残りを図る事ができました。廣瀬さんには色々な事を教えて頂きました。
アップルの原田さんは、十数年間ずっとアップルをリードされ、米国本社がライバルであるマイクロソフトの支援を得るなど大変な時期に、日本だけはシェアを維持され、日本でのアップルの強さを牽引された功労者です。又エキサイトがアップルのホームページをアップル・エキサイトという形で提携・運営させて頂いている関係で色々お世話になり、西武有楽町店でのウーマンエキサイトカフェ(日本で初めての女性向けインターネットカフェ)には最新のMacを提供して頂きました。
なにかと子供扱いされるこの業界のTOPがメジャー・カンパニーのCEOへ転身するということは、色々大きな意味があります。しかし大切なのは業界のスキルではなく、株主から求められるスキルを持っているかどうかです。特に今回の転身には外資系親会社という共通点がありました。2社の親会社が考えたであろう大切なスキルとは
1、親会社(株主)と正確にコミュニケーションを取る事ができる。本社の意図や方向を理解し、その上で日本独自のローカルな戦略を外人の本社へ理解させる能力がある。
ローカルなマーケットを無視して本社の指示を鵜呑みにしていると、日本ではどんなビジネスも成功しません。かといって本社の意図を無視して判断する事はできません。重要決定は社長が承認するのではなく、本社が承認するのです。このさじ加減(押し所と引き際)が本人の信用の形成と同時に一番重要な部分です。コロンビアは音楽業界という独特な業界。マクドナルドも藤田さんという絶大なリーダーが引っ張ってきた会社。米国から見ればよくわからないはず。まず理解したいはずだ。正確にウォッチしてレポートするには、他業界の人間の方がいい場合もある。そして何より改革しようとする本社には、白紙の人の方がやりやすい。
2、コンシューマ・マーケティングの経験と実績がある。
廣瀬さんはIBMでも広告宣伝の経験があり、セガでコンシューマビジネスも経験されている。そして原田さんはアップルという独特のポジショニング・ブランドの形成を経験されていて、コンシューマブランドマーケティングに強い。特に皆が知っている認知度の高いブランドの形成や販売キャンペーンに強いはず。
3、ITを利用した経営改革を行うことができる。
コロンビアとしては今後、米国ではすでに始まっている音楽のダウンロードサービスや、日本では「着うた」等の携帯コンテンツビジネスへの参入は重要課題であるが故、廣瀬さんのスキルはピッタリである。マクドナルドも営業戦略上、又コスト戦略上、ITの利用は企業の最重要課題の一つ。そこに原田さんのITの経験や業界での人脈は必ずマクドナルドで生きる。
上記の「選ぶ側が重要視するスキル」をお二人とも持ち合わされており、業界経験の無さを十分に補うのである。普通に分析しても驚く起用ではない。何よりお二人とも吃驚するほど若い!! 一回り以上年が若い私なんかより、バイタリティも行動力も十二分におありです。IT業界の大先輩のお二人がリアルビジネスのリーダーとして活躍されるのは、私たちにとっても大きな励みです。本当に嬉しく思います。
先輩!!! 頑張ってーーーーーー!!!!!
P.S. 今日のお昼はマックにしよっと。
山村幸広
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2004年2月12日(木)
先日、味の師と新橋の和食、「京味」(きょうあじ)さんでご馳走を頂いた。東京では老舗の京料理のお店であり、ご主人はマンガのモデルにもなったほどの有名人。東京でも最も有名なお料理屋さんの一軒である。店の素晴らしい雰囲気とこの有名なご主人が故、テーブルや個室よりもカウンター席が先に予約で埋まる。お店に入った瞬間に、「この店がまずいはずはない。」という雰囲気が堂々と伝わってくる。新鋭の料理人におされぎみの老舗が多い中、決して期待を裏切らない老舗であろう。
最初にだされた、京人参の赤みが嬉しいかす汁は、その暖かさと美味しさにほっと一息をつく一品である。八寸の前に、小ぶりの汁物(おろし、うらごし、葛でといた物など、なぜか「どろっと」した物が多い。)が出されることが京料理屋さんには多いが、フレンチのアミューズの様にそれを頂けばその店がわかると言っても良い大切な一品である。何せ、始めて来たお客さんであれば、お店が一番最初に出す店の味なのだから。その後も季節柄の食材を沢山頂いた。焼物に出された、「まながつおの西京焼き」。基本中の基本の品を堂々と出す、実は勇気のいる料理。締めの鮭のご飯はパリパリに焼いた皮を細切りにして身とまぶしてある。鮭は皮が一番おいしい魚(皮がおいしく食べられる数少ない魚)と言う通がいるぐらい皮が美味いが、ご飯とたっぷり米の上にのせられた鮭の身と皮、真に三位一体というご飯。これを楽しみに来店される方も多いだろう。デザートで頂く「葛きり」は、目の前で葛きりを作ってその場で出される。そしてその甘味を上品に抑えた黒蜜と頂く、本当に日本の甘い物も極上なんだと再認識させられる絶品である。こちらの冷酒は飛騨の「とびきり」というお酒。やはりこれほどの料理であれば絶対に日本酒ですよね。でないと失礼でしょ。っと自分に言い聞かせ、その切れ味の良い、決して料理を邪魔する事のないお酒を一緒に堪能させて頂いた。味、ご主人を中心に若い方々のきびきびした動き、そして又手際が素晴らしい。従業員の皆さんが役割を理解されている。10品ほどのコースであったが、ご飯を食べ終えたのは開始から1時間10分後。デザートを終えて店を出るまでの所要時間は1時間30分であった。眠くなるほど、一品一品待たされる店が多い中、気持よく食べ終えられるのも名店のポイントである。
こちらのお店は京料理であるが東京人向けの味付けも意識されているように思える。御醤油の味も関東っぽく感じられる品がたくさんある。これは意識的にされているのだと思う。なにより白身の刺身(この日は河豚)を、たまりの中に添えられた、かわはぎの肝で合わせて頂く。これはやはり東京人、関東のお客さんを意識された工夫であると思う。鮨屋でも、関西はうまい白身を一本仕入れておけばなんとかなるといわれるが、東京では白身ではなくマグロとなる。東京の鮨屋はマグロの仕入れに勝負をかける。関西のお客さんは白身にこだわりを見せるが東京のお客さんはそうでもない人が多い。言い換えればあまり白身はお好きでない方が多いのだと私は思う。そんな方々に白身とかわはぎの肝を一緒に食べてもらう事により、まったりと濃厚な味を楽しむ事ができる。長い年月、東京で勝負された中で得た、計算ずくの一品であると思う。
お値段的に頻繁には行けないが、値段以上の値打ちを実感できる数少ない京料理屋さん。京都出身の私としては一生大切にしたいお店である。ご主人がいつまでもお元気で店に立たれる事を願ってやまない。
PS 鮨 その2は現在、思案中です。すいません。
山村幸広
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2004年2月9日(月)
今日の朝のニュースでその活躍を知りました。彼のインタビューでのコメントがとても印象深かったのでご紹介します。試合を振り返ってという質問に、彼は悔しそうな表情と共に、「最後のシュートをはずして悔しい。」と答えた。最後のシュートはそんな決定的とはいえない場面だし、相手ゴールキーパーのファインセーブもあり、得点にはならなかった。しかし成長する人とは必ず、色々な場面において常に満足しない。彼が普通の選手なら、「初出場ながら得点を入れられてよかった。」ぐらいのコメントだろう。確かにスポーツ紙も「衝撃デビュー弾」と絶賛している。しかし常に満足せず、これでもか、これでもかと反省するポイントを見つけ、更に上を目指す。人間が成長するにおいて一番大切な事ではないでしょうか?これは仕事にも共通しています。
会社で成長する人は常に自己満足しない。常に反省し改良していく人です。仕事上でそんなに個人の能力に差がある場面はありません。しかし成長していく人、評価を得る人というのは彼のようなタイプだと思います。又、そのひたむきさが周りの人も味方につけます。もし彼が、最初の得点を自慢したら、周りは「フリーで、入って当たり前の得点。」といったかも知れません。又あのような決定的なパスは回ってこなくなるかも知れません。会社でも1人で仕事はできません。回りの人間や組織を巻き込まなければ評価を得る結果はできないようになっています。同じ行動でも評価は180度かわる事も有り得るのです。
しかしこの常に挑戦し成長していく人だからこそその決定的なチャンスも初戦から得れる幸運を勝ち取るのです。私は、幸運とは努力ある人に訪れると信じています。
例えば会社でも、下記のように同じ仕事でもコメントが人により変わります。
Aさん:コメント
「今回は紆余曲折ありましたが、なんとか乗り切れて成功できました。」
Bさん:コメント
「今回は成功しましたが、改良していくポイントや問題点が多数あり、今後の課題に取り組んでいく必要があります。」
このAさんとBさんのコメントの差を感じられるでしょうか? 2人のコメントをどう受け止めますか? 多分殆どの人が、Bさんを高く評価すると思います。評価は自分がするものではなく、他人がするものです。相手にとってどのように受け取られるかが重要なのです。それはコメント自体のテクニックではなく、そのコメントの裏側にある姿勢が重要なのです。しかしサラリーマン世界(特に外資系)では、成功を常に独り占めにして大きくアピールする人の方が評価されてしまうケースが多々あり、悲しい限りです。しかし、そんな見分けができない上司がたくさんいる会社は成長力の弱い会社です。
彼は他の質問で、「今後の課題は?」と聞かれ、「あのシュートをきっちりと決められるようになる事です。」と答えた。自分のストライカーとしての役割を十分に認識し、また、プロのハンターのようにその仕事にこだわる。正にプロです。日本代表に選ばれるのも時間の問題と思います。中田選手や中村選手の様にキラーパスで世界的な評価を得る日本人選手はいますが、真のストライカーとして世界的な評価を得た日本人選手はまだいません。本当にそれを目指して欲しいと思います。
私は既に彼のファンになってしまいました。
PS 「鮨 その2」は次回にさせてください。
山村幸広
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2004年2月6日(金)
昨日も鮨(すし)を食べた。
私は鮨が好きだ。ほとんどの日本人は鮨が好きだろう。日本が世界に誇れる食べ物の代表はやはり、鮨である。鮨ネタの魚は骨がないので子供も大好きである。鮨には季節があり、技がある。これを食べず、その真の美味しさを知らずに死ぬ人生で、食を語れるであろうか?
鮨の発祥は江戸時代といわれている、当時の鮨はいわゆるファーストフードである。屋台で始まった鮨屋は、風呂がえりにつまんで帰るという、手軽な庶民のファーストフードであった。現在でも、ちゃんと仕事ができる鮨屋でペースよく食べると、20分位で15貫ほどの鮨を食べて終了する事ができる。(その分、鮨屋の仕込みは時間がかかる。)
鮨はその後、色々な地方で進化していく。しかし鮨は江戸前である。京都出身の私が東京で一番認めている物は鮨である。東京の文化や名産物は、江戸時代の参勤交代という制度の中、全国の地方から大名と共に職人や品物が集まりできたものがほとんどであるが、鮨は独自の東京文化であろう。
冷蔵庫のない当時、最大の課題はネタの保存にあった。しかしその苦労が、江戸前の味を生んだ。いわゆる、「酢でしめる。」「煮る。」という方法で保存していったのだ。その技の副産物が、江戸前を代表する鮨ネタの「ずけ」「こはだ」「にはま」「かんぴょう」「えび」「あなご」「たまご」である。その中でも「こはだ」は鮨屋の最大の功績であろう。煮ても焼いても食えないまずい魚を立派な一人前の食べ物にしたのは、江戸前の仕事である。6月から7月にかけては、更に味わいと赤ん坊の肌のようなやわらかさを楽しめる「しんこ」(こはだの稚魚)を頂く事が出来る。これらの鮨が旨い鮨屋を江戸前と呼ぶ。いや、呼んで良いということだろう。そして季節に応じて最高の魚介が日本全国から集まる東京・築地から最高のネタを仕入れる事ができる鮨屋を、日本一(世界一)の鮨屋といえるのである。そんな鮨屋は東京でも数件しかない。その鮨屋を知っているか、いないか、それは人間としての財産をもっているか、いないかに等しいのである。そんな一軒を知っている私はなんと幸運な人間だろうと神に感謝するのである。
私の鮨との出会いは、そんなにいい思い出ではない。子供の頃は、鮨は嫌いであった。生魚が嫌いであったため、食べる鮨は「かっぱ巻き」(京都では「きゅうり巻き」と言う。)で、母親からその時だけ「親孝行」と呼ばれた。そんな私が鮨通(これだけは自信をもって「通」と自画自賛できる。)になったのには、時間の経過と出会いがある。私に鮨の味を最初に教えてくれた師匠は12年間勤めた、トランスコスモス株式会社の奥田耕己氏である。師は仕事一本の人生を送られているが、師の楽しみは「食べる」事である。中でも鮨は週に1、2回食べられている。私の最初の江戸前鮨は赤坂の「喜久好」さんである。師からはよく「おまえには仕事は教えてやらんが、『味』は教えてやる。」と言われた。最初は正直、あまり味がわからなかった。1年間連れていっていただいて(回数は多分、15回程度)美味く頂けるようになっていった。舌が成長した。又、次の年は季節感も理解していった。当時(1987年)「喜久好」さんは素晴らしい手際のよさと江戸前の技で、客に満足のいく鮨を提供されていた。おみやげの特製「あなご弁当(鮨)」は、鮨めしに香り高く焼いたあなごをくだいて敷き詰めたもので、えびのだしで心地よく、まるでケーキのように仕上げられた「たまご」と、ご主人が「これが一番合う」とおっしゃる「奈良漬け」が添えられた筆舌しがたい味である。よく師から「次の日の朝に食え。」と言われて持たせて頂いたが、若かった小生は夜食にして至福の時間を味わっていたもんだ。
その後、大阪へ転勤になってからは、師の行きつけである難波の「一半」さんへ、師が出張で大阪へこられた折によく連れていって頂いた。ここでは「鯛」という魚の王様の味を覚える事ができた。「一半」さんで「鯛」を食べたら他では食べられないと言っても良いだろう。築地には最高の魚介がすべて揃っているが、唯一入らないのが「明石の真鯛」である。これは釣り上げられる前から関西の料亭、鮨屋へ行き先が決まっており、築地には届かない。東京では夏場に「ほしがれい」という最高の白身魚(夏場の時季のみ、日に数枚入る。)を頂く事ができるが、やはり白身の王様は「鯛」である。よって私は幸運にも、なんの投資もせずに江戸前の鮨の味を理解でき、江戸前の最高のお店でも食べられない「鯛」、いわゆる白身の味を大阪で理解する事ができたのである。若い時分の、お金がない、又そんなお店と出会う事が中々できないという環境下で、これ以上素晴らしい贈り物が他にあるであろうか。師に改めて感謝する。よって私は鮨通になる事ができた。
そして、1996年、私にとって財産となる一軒の鮨屋と出会う事となる。それは次回説明させて頂く事にする。
山村幸広
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2004年2月3日(火)
前回から引き続き、焼酎の話であります。
前回の理由で焼酎を飲みだした私は、うまい焼酎探しを始める事となる。当時、大多数の人が、「焼酎は芋だ。」「やはり芋が王道。」と申された。そして芋焼酎の探検が始まる。「森伊蔵」「伊佐美」「はなたれ」「百年の孤独」、色々試させて頂いた。焼酎好きの方に、「何がおいしいですか?」と申しあげると大体、その人のお薦めがあり、「では一本差し上げましょう。」とやさしいお言葉を頂き、それに甘える。そして飲み方は、「芋はお湯で。」「いやロックで。」「水は前日からまぜて寝かす。」「お湯から先に注ぐ。」これも色々なアドバイスを頂いた。でも自分にはなにかしっくりこない。飲みなれていないので本当の美味しさがわからないのか? 小生は結構、食べながら飲む(結構、量も食べる方である。)ので料理との相性なのか? 悩める日々が続く。
そんなときエキサイトの役員が沖縄出張の折に、土産にと泡盛を1本買ってきてくれた。沖縄での小宴で美味しかったものが、空港にたまたまあったので買ってきたという事だった。それは「残波」(マイルド25度)という泡盛。彼はそれまでの日本酒の友。小生との好みも多分似ているので、信用して家で1杯飲んでみた。美味い!香りがとっても良い。残波のような香り、そしてすっきりとしている割にひろがりのある味わい。多分、本当の焼酎好きの方には物足りないのかもしれないが、自分には美味しいと感じられる。そしてそれは自宅での愛用となった。あとから調べたら東京ではあまり手に入らないが、沖縄では最もポピュラーな泡盛であり一般的なものだった。何人かの焼酎好きにもお薦めしたが、結構評判も良かった。しかし泡盛がいいと言い出すと、又泡盛が集まってきた。「○○年物」「カメ出しで一般にはでまわってない。」芳醇で味わいもふかいコニャックのような、いわゆる「森伊蔵」系が集まる。でも自分にはしっくりこない。食事の後で語らいながら時間を楽しむ時にはあうのであろうか? それともまだまだ小生が焼酎の青二才である為、味がわからないのか?
色々考えたが自分が飲んでいて美味しいと思うものを、と開き直った。熊本「米焼酎」、宮崎「麦焼酎」、土佐「栗焼酎」。なんだ、美味しい焼酎はたくさんあるじゃないか。自分は芋はあんまりあわないんだ。焼酎素人とよばれてもいい。自分がおいしい焼酎を飲もう。そして焼酎が本当に好きになっていたのである。現在のお気に入りは、
大分「兼八」
宮崎「銀の水」「中々」
沖縄「残波」
土佐「ダバダ火振」
である。エキサイトのある宮崎出身の焼酎好きに聞くと「宮崎人は芋を飲むので、麦なんて飲みませんよ。」とほざく。でも宮崎の麦の絶品「銀の水」は素晴らしい。しかし麦の一品といえば現在、私が知りうる限り、大分「兼八」である。一言で表現すれば、「最高の焼酎の燻製。その香ばしい香りと味わいは、麦にカカオか炒りたてのコーヒーを合わせた感覚」か? しかし現在、一番手に入りにくい一品でもある。エキサイトイズムの焼酎担当に探させ、先日「兼八」原酒を2本手にいれたが、大切な方に進呈した。現在、私が知っている「兼八」が飲めるお店は青山は骨董通りの日本料理屋「椿」さんだけである。こちらの料理は、上品な器(さりげなく柿右衛門などもでてくる。)と酒飲みにはぴったりの肴を頂け、お値段も非常に値打ちのあるお店であるが、こちらでは「兼八」を頂くことができる。又、湯布院の「亀の井別荘」さんのレストランでも頂けた。もしご主人に「1本譲って頂けないか?」とお尋ねすれば頂けるかも知れないが、頼んだ事もなく、今後もお頼みするつもりもない。(でも欲しい。)
「椿」さんはその他の焼酎や日本酒の品揃えもとてもセンスが良い。実はこちらのご主人は大のワイン好き。生意気かつ僭越ではあるが、ワインを頂ける私のとっておきのお店をご紹介したがたいそう気にいって頂き、ご愛用頂いているようで嬉しい限りである。多分、「椿」にもセンスの良いワインが置かれているのであろう。あれだけのワイン通が選ぶワインも楽しみである。
という訳で、「兼八」情報をお持ちの方は是非、教えて下さい!! 現在、自宅での焼酎は、「銀の水」「残波」であるが是非、そこに「兼八」を加えたい。まだまだ小生の焼酎探検は続く。多分、一生。
山村幸広
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2004年2月2日(月)
エキサイトの山村です。いつもエキサイトを御利用頂き、誠にありがとうございます。また、日頃色々な分野にわたって、パートナー様としてお付き合いを頂いている方々にこの場を借りて御礼申し上げます。
さて本日より、エキサイトでもブログサービスを開始させて頂きます。そこで恥ずかしながら、私もブロッガーとして参加させて頂く事となりました。私が18年間携わってまいりましたIT分野の話を中心にと思いましたが、どうも私の探求心は常に仕事だけにあらず、下記の分野にまで広く及んでおります。といいますか、本年40才を迎えまして、仕事だけの人生ではなく色々な自分の「愉しみ」を追求して行きたいという気持ちで、残り約半分ほどあるであろう人生を過ごそうと決意したからであります。その中での私の人生の永遠のテーマが、「仕事」「酒」「食」「健康」「趣味」のキーワードでございます。
これらのキーワードでの話題を提供させて頂き、そのテーマでの皆様、諸先輩方のアドバイスや新たな知識を頂きながら、追求して行きたいと思います。できれば週2、3回のペースにて更新してまいりますので、宜しくお付き合いのほどお願い申し上げます。
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小生と焼酎の本格的な出会いは5年前に遡る。この出会いは多分自分の飲み方を大きく変えると同時に、私の寿命を10年、いや20年ほど伸ばしてくれるであろう出来事であった。それまでの私は、和食(鮨、蕎麦を含む)での飲み方は、ビールを2本程度、冷やした日本酒(おもに、新潟「鄙願」、長野「明鏡止水」、大阪「呉春」、和歌山「羅生門」、山形「ひとりよがり」等)を3、4合をくらって、二次会ではヘネシーを5、6杯飲んで、眠りに入るという飲み方であった。当然、こんな飲み方では体は悲鳴を上げる。1999年、その年の健康診断の結果は最悪であった。尿酸値は10を超え、ガンマGTP等の肝臓の機能は限界に近く、腎臓にはのう胞も2つできていた。それまで痛風発作は1回経験しており、最初に痛風を指摘されてから(27才時)8年が経過していた。
1999年、当時35才、その年はダブルクリック社の社長を退任してエキサイトの日本法人責任者に就任した年であるが、その年の健康診断は、東京 広尾の日本赤十字医療センターで行われた。しかしこの健康診断は大きく小生を変えることになる。検査結果をもって先生の診断が始まった時を回想する。その小生の命の恩人といっていい先生(なかなかの美人、40才程度であったか)との主な会話は以下の通りである。
先生 「かなりひどいですね。」
小生 「すいません。」
先生 「謝らなくてもいいのよ。いつも何を飲んでるの?」
小生 「はずかしながら、上記のような飲み方です。」
先生 「お酒が好きなのね。」
小生 「多、多分」
先生 「でもあなた、倒れる訳にいかないんでしょ?」
小生 「多、多分。でも、職業柄、止めるのは無理でござる。」
先生 「わかってる。でも倒れたくなかったら、私のいう事を聞きなさい。」
小生 「はあ。。。。」
先生 「まず、ビールは1本にしなさい。冬はグラスに2杯。そして日本酒の替わりに焼酎にして、ヘネシーをウイスキーに替えなさい。そうすればかなり変わるわよ。」
小生 「で、ですか。参考にさせて頂きます。」
先生 「飲めなくなるよりましでしょ。飲めない人生はつらいわよ。」
小生 「御意に。」
以上の御指示であった。
「へん、焼酎なんか飲めるか。料理には日本酒なんだよ。ウイスキーは俺は嫌いなんだ。それにあれはオヤジの飲み物なんだ。(自分を棚に上げながら。)」と開き直っていたが、このままではいかん。
という事で焼酎を飲みだしたのであった。それからは焼酎好きに「飲み方」「こだわり」「おいしい銘柄」の情報収集がはじまったのである。そして「森伊蔵」「伊佐美」「はなたれ」「百年の孤独」などうまいといわれている焼酎、手に入れにくいという焼酎を飲み漁る。そしてウイスキーを飲み始めた。最初、まずいと思っていたウイスキーもなかなかうまい物もある。このように小生の飲み方は一変してしまったのである。
そして一年後の健康診断。その結果に驚愕をした。別に運動をはじめたわけでなく、飲む量、回数は減らず大きな努力もなしにその数値は驚く改善を示していた。尿酸値も肝臓の数値も「再検査をしましょう」から「経過を観察しましょう」に変化していた。なぜか嬉しかった。そして2年後にはすべてクリアし、腎臓の「のう胞」も消えていた。素晴らしい。あの女医様のお陰だ。なんというお名前か忘れたのが残念でならない。もし今、お会いする事ができれば会ってお礼をさせて頂きたい。それまでは「飲むな」「減らせ」「休肝日」ということしか言えない、無理だとわかっている事を要求する医者としか知らなかった小生にとってまさに、女神であった。ありがとう、先生。日赤医療センターでのエキサイトの健康診断はなぜか後にも先にも、あの年だけである。あの奇跡的な出会いに運の良さを神に感謝した。
なぜ改善したか?先生は糖分の少ない飲み物でかつ「蒸留酒」を私に勧めたのである。多分あの先生も酒好きなんだろう。その効果は深くは知らないが改善され健康になったのは事実なのである。先生に一献。
「タイトルの『兼八』の話しは何処いった???」申し訳ない。すっかり話しが、脱線した。睡魔も襲ってきよりました。「兼八」にいたる小生の「焼酎の短い歴史」は次回という事にさせて頂く。
山村幸広
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